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今日のテーマは、人事評価制度(人事考課)から少し離れた親友とは? です。
チョット趣が変わった内容ですが、多分、いや、必ず役に立つ内容なので読んでみてください。
そうそう、ご自分にも当てはめてみてくださいね。
人事評価制度(人事考課)とも関連ありますから。
あなたは、親友と呼べる人は何人いますか?
どのような人が親友なのでしょうか?
私の親友の定義は、おそらく皆さんと異なります。
一般的に親友とは、
・どれだけその友達のことを想っているのか
・困ったときに助けてくれるのか
・一緒に楽しい経験をしたか
・一緒に辛い経験を乗り越えてきたか
などでしょうか。
私の親友の定義というか、私自身が、「コイツ、俺の親友だなぁ」と思える基準は、ズバリ、以下の通りです。
私、山本昌幸の親友と思える定義:その友人にとって、とても良いことがあったときに私自身も「嬉しい!」と思えることです。
ヒトというのは、非常に悲しい生き物であり、その悲しいことの代表格が「妬み」(ねたみ)です。
「嫉妬」(しっと)でもありますね。
特にビジネス上の男同士の嫉妬は恐ろしい!
この男同士のビジネス上の嫉妬から同業者同士で非常に醜い足の引っ張り合いや妨害活動があるのです。
「あいつだけ儲けやがって」みたいな。
これ、思いっきり醜いですね。
余談ですが、事例は少ないですが、ビジネス上で男性から女性への嫉妬や妬みもすごいものがあります。
男としては恥ずかしい限りで、このような男性は、「オンナの腐ったような奴」なんでしょう。(女性には甚だ失礼なフレーズです:ごめんなさい)
この「嫉妬」「妬み」は、友人同士でもあり得ることなのです。
ですから、友達想いの振りをしていてもその友人にとって、非常に嬉しいことがあった場合に嫉妬してしまう場合があります。
このようなことが起こる場合、その友人はあなたにとって親友ではありません。
これは、何も嫉妬しているあなたが悪い訳ではないですからね。
いかがですか。
あなたは、友人に非常に嬉しいことが起こった場合一緒に喜んであげられる友人は何人いますか?
逆に友人が困っているときに助けてあげることは当たり前のことで親友の定義としては薄いと思います。
もちろん、助けることにより、友人が幸せに・ラクになるのでしたら良い行いではありますが、困った人を助けることは、一部のサイコパス的なヒト以外にとっては当たり前の行動なのです。
あなたは、友人にとって非常に嬉しいことが起きた場合に「本当にヨカッタね」と本音で伝えられますか。
私が親友の定義と同じくらい重要に思っている定義があります。
この定義は、コマッタときに助けてもらう定義ですが、助ける方にとってハードルが高い内容なので私にとっては重要なのです。
その定義とは、自分がブラジルの山奥の村で一文無しになって困っているときに現地まで迎えに来てくれるヒトです。
さすがに、日本の裏側のブラジルのしかも山奥の村まで、来てくれるヒトはほんの僅かというか居ない場合もあるでしょう。
では、私(山本)は、身内以外でブラジルまで来てくれる友人は何人いるのか?
えーと、7名です。
逆にこの7名がブラジルで困っている場合、私は助けに行きます。
あなたは、何人居ますか?
今まで、こんなこと考えたことないと思いますが、丁度よい機会なので考えてみてください。
「カンタンすぎる人事評価制度」の策定では、三つ目の項目として
・社長が一緒に働きたい人材
というのがありますが、この項目に「社長がブラジルで困っているときに助けに来てくれる人材」としても良いのです。
もちろん、実際の人事評価制度(人事考課)の評価項目(評価要素)ですから、「と、言うことは?」で深堀して表現は変えますが、社長の想いとしては理解できるのです。
要は「この人のためなら一肌脱ごう」という人材が理想なのかもしれませんね。
人事評価制度においても、このような人材に対しては高評価を与えてしまいそうです。(良いか悪いかは別として)
また、「社長のために一肌脱ごう」と思っていてくれる人材は非常にありがたい存在です。
この、「社長のために一肌脱ごう」という考え方を別の表現や要素に置き換えて、人事評価項目に置き換えていくことも悪くないと思います。
人事評価制度(人事考課)の策定と言っても所詮は、ヒトとヒトとのつながりは無視できないのです。
そのために人事評価の場では、様々なエラーが発生しますが、そのエラー事態も100%悪い訳ではないのです。
「カンタンすぎる人事評価制度」では、小学生でも評価できる評価基準を予め策定して、公表してしまいますが、あえて、ファジーな部分も別の評価制度で残すことも必要なのかもしれませんね。(決算賞与とか)